ものぐさ読書宣教会

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芸術的なまでに昇華された無慈悲と残酷──『隣の家の少女』書評

 

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

 

 「面白い」と言ったら誤解を招くほどトラウマ級の一冊なのですが、とても衝撃的だったので紹介しようと思います。現在42刷もされている扶桑社のいわば〈顔〉的作品で、ホラー界の巨匠スティーブン・キングが解説を書いています。

『現役のアメリカ人作家で、ジャック・ケッチャム以上にすぐれた、重要な作品を書いている、とわたしが絶対的に確信できるのはコーマック・マッカシーただひとりである。』

と述べて、実際にケッチャムに劣る(とキングが思う)作家たちのリストを挙げてまで絶賛しています。……とてもアメリカっぽい露骨さを感じる。

 

1958年の夏。当時、12歳のわたし(デイヴィッド)は、隣の家に引っ越して来た美しい少女メグと出会い、一瞬にして、心を奪われる。

メグと妹のスーザンは両親を交通事故で亡くし、隣のルース・チャンドラーに引き取られて来たのだった。隣家の少女に心躍らせるわたしはある日、ルースが姉妹を折檻している場面に出会いショックを受けるが、ただ傍観しているだけだった。ルースの虐待は日に日にひどくなり、やがてメグは地下室に監禁されさらに残酷な暴行を―。キングが絶賛する伝説の名作。

 

 

以上あらすじです。

自分は数年前からこの作品を知っていたのですが(新宿の紀伊国屋書店に行くと物凄い勢いで推されている) 、「なんかあらすじだけで結末が読めるよなあ……」と持ち前の逆張り精神を発揮して敬遠していました。

でも間違いでした。

この本の破壊力は、ストーリーを予想していてもなおガード上から打ち抜いてくる。

 

主人公・デイヴィッドとメグが小川のほとりで初めて出会うシーンは甘酸っぱくて、古き良き子供時代を甘美に描いたボーイ・ミーツ・ガール小説のように読者は錯覚する。

 

長い脚は小麦色で、長くのばした赤毛をポニーテールにしていた。ショートパンツに胸のあいた淡い色のブラウスという格好だった。わたしは十二歳半だった。少女はわたしよりも年上だった。 

もちろん挿絵なんてないんだけど、絶対に可愛いんですよメグ。

長閑な田舎の自然!ショートパンツにブラウスの健康的美少女!

まさに鉄板の組み合わせ。夢のコラボレーション。都会生まれでも関係ない。条件反射的に郷愁が刺激されます。

だけどこの時点で交通事故(両親をこの事故で亡くしている)で負った左肘の痛々しい傷痕が描写されたりして、この先訪れる不穏な展開の予兆がある。

 

中盤以降、アメリカの田舎を舞台にした青春映画でよく目にするような、無秩序で牧歌的な夏休みの風景が綴られていきます。

そして同時にルース(メグと妹スーザンの引き取り手)のメグに対する理不尽な扱いが明らかにされていく。そしてその無下な扱いはルースの子供たちなど、デイヴィッドの仲間にも伝染して、どんどんエスカレートし、メグは地下室に監禁される。

ルースと悪ガキたちは、メグを『更生』させることではなく、苦痛を与え散々に辱め、精神的に屈服させることが目的化した拷問を行う。

自分たちよりもはるかに強くて美しい少女がこうべを垂れて、「自分が間違っている」と認めて懺悔する瞬間を楽しみに待ちながら。

そしてついに、メグはさるぐつわの奥で、一度だけ、なにやら声をあげた。とつぜん、息をするだけで苦しくなったせいで漏らした、小さなうめきのような声だった。ブラウスは胸のすぐ下までずりあがり、腹が不規則なリズムで、苦しげに波打って、胸郭が浮かびあがった。つかのま、頭ががっくりとのけぞり、それからもとにもどった。

メグはきわどいバランスをたもっていた。からだがゆらゆらと揺れはじめた。

顔に赤みがさしていた。筋肉が緊張していた。

わたしたちは黙りこくったまま見つめていた。

メグは美しかった。

そこには異端審問にかけられて火炙りの刑に処されても、信仰を貫く聖女のような気高さがある。

私たちはデイヴィッドと同様に、穢される神聖さに対する背徳的でサディスティックな欲望を精神の奥底で滾らせながらも、どこかでまだ安心している。

〝これはあくまでエンターテインメントなのだ〟と。

だがその期待はあっさり裏切られる。

主人公デイヴィッドは恋した少女が傷付いていくのを前にして、〈大人がそんなことが起こるのを許すはずがない〉という子供にありがちな妄信で、その事態に抗うのをためらってしまう。

そして事態は進行し、思わず目を背けたくなるラストを迎える羽目になる。

 これにかんしては語りたくない。

ごめんこうむる。

 

話すくらいなら死んだほうがましという事柄があるものだ。目にするくらいなら死んだほうがましという事柄が。

わたしはそれを目のあたりにしたのだ。

本作の時代は1950年代。

まだ児童虐待が〈親のしつけ〉の名目で許容されていて、助けを求めても大人は何もしてくれない。

閉鎖環境の中で一見正しいようなふりをしてメグを嬲り、彼女の精神を擦り殺していくルースと、それに盲目に従う無邪気で残酷な子供たち。

そこには「ホラー映画のゾンビやモンスターなんて所詮はファンタジーに過ぎない」と思わせるような、本物の〈恐怖〉と〈悪〉が存在します。

でも決してヒーローは登場しない。

力強くて、善良で、可憐な少女が最悪なやつらに蹂躙されていくさまが淡々とリアリスティックに描かれていきます。

ただ世界はあるがままに美しく、救いの手は差し伸べられることは永劫にない。

小説の形をした、くそったれな地獄。

それが本作です。

400ページほどあって割とボリューミーなのですが、展開が気になって夢中で読み、一回も休憩を挟むことなしに2時間で読み終えてしまいました。

カフェで読んだ帰り道でジブリのサントラを聴いていたら、あまりにも対照的な温かさに満ちていて、思わず泣けてきてしまうくらいでした。

並大抵のホラーには飽き飽きしていて、さらなる地獄巡りを所望する奇矯な人にはオススメです。

徹底された無慈悲と残酷に、ある種の聖性すら感じると思います。