人生ナメたろうのゲーム日記

好きな本とゲームを布教するためのブログ。

2026/10/5 渡辺清『私の天皇観』読書メモ

本日の読書。

私の天皇観

私の天皇観

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太平洋戦争を少年兵として戦い、戦艦武蔵の沈没から奇跡的に生還した渡辺清の論集。

少年兵における戦後史の落丁(1960)

渡辺が少年兵に志願した理由として、「俺みたいな百姓の子だって兵隊になりゃ偉くなれるんだ」という出世意識、「国を守り天皇陛下に尽せるのは兵隊になりゃ偉くなれるんだ」という忠誠意識、「その兵隊で死ねば俺みたいなやつでも天皇陛下がお詣りしてくれる靖国神社の神様になれるんだ」という価値意識を挙げているのが興味深かった。

天皇裕仁氏への公開状(1961)

昭和天皇の戦争責任を追及する文章。
レイテ沖海戦における戦友の死のことを回想する箇所で、「天皇陛下のためならば、なんでいのちが惜しかろう」という小学校で歌っていた唱歌「露営の歌」の文句を最後まで信じていた、と戦友のことを語っているのが印象的だった。

帰還農民兵士の立場から(1962)

岩手県農村文化懇談会が編纂した『戦没農民兵士の手紙』を読んだ感想からはじまり、「これまでの戦争責任の問題は、主として知識人の問題として提起されてきた」として、自身を含む農民兵士の戦争責任を考える論考。
 同書のまえがきに農民兵士は「善良で健康な村の若者たち」だったと書かれてい
たことは、「侮辱されたよりもこたえた」 (p. 78)と渡辺は述べる。渡辺によれば、「軍隊での僕および僕らはそんな『善良な兵士』ではなかった」。同書のある兵士は、手紙のなかで妻を思いやりながら、二、三十人を皆殺しにしたと無感動に書いているという。
「僕はとにかく本書によって、あらためて自分の恥部に正面から向き合わされた」と渡辺は書いており、『戦没農民兵士の手紙』を読みたくなった。

また、歴史学者ハーバート・ノーマンの「日本における兵士と農民」への言及があり、渡辺は勉強家だなあと思った。

北緯十二度五〇分東経一二二度三五分水深一三〇〇米の海底に(1966)

渡辺と共に両親への遺書を書いた戦友であり、戦艦武蔵の沈没で亡くなった「鈴木」に宛てて書かれた文章。戦友を助けられなかったことを後悔し、「俺はやっぱり薄情で駄目な男だった」と述べたあと、渡辺は以下のように書いている。

そして俺は今にして思うのだ。人間がギリギリの極限状況に追いつめられたとき、一体誰がその手をさしのべてくれるかと。それは誰か? 友人はむろんのこと、兄弟だってあぶない。恋人だってあぶない。妻だってあぶない。ひょっとすると母親だって怪しい。自分をみとってくれるものは、正に自分以外ないのではないか。俺はあの体験を通して、それまでそれと知らずに過してきた人間の底深いエゴの深淵を、己れの中にもはっきりと見とどけてしまった。そしてそれを見とどけてしまった俺は、今日はやりの「連帯」とか「話合い」とかいう「組織の有効性」をいくら説かれても、白々しさだけが鼻について、そんなものなんて、くそくらえとしか思えないのだ。

こうして結局俺たちの班だけでも若い兵隊六人のうち、生き残ったのは俺一人だった。しかし、あれから俺がどうやって生きてきたか、それをいま俺はここに書く気がしない。死んだお前をまえにして、どうしてそんなことが書けよう。ただ、俺がここでお前に言えることは、俺は死におくれたうしろめたさをこの二十余年抱きつづけてきたということだ。俺もあの時死ぬべきであった。(p. 88)

「内なる天皇制」呪縛の自己史(1980)

戦後生まれの世代に向けて自身の戦争体験や天皇観について語った文章。

自身が皇国少年になってしまった原因の一つとして、「郷土部隊が上海の激戦地に廻されたこともあって、当時村には戦死者が続出し私たち小学生はしょっちゅう村道に並んでその遺骨を出迎えていましたが、私はそのたびに日本民族が興亡浮沈の瀬戸際に立っているような危機感に陥り、子ども心にもなんだかじっとしていられない気持」になった、というエピソードが挙げられていた。

〝戦前志向〟への告発——山中恒著「ボクラ小国民」(1980)

児童文学作家の山中恒の「ボクラ小国民」の書評。

「典型的な皇国少年に練磨育成されていく」著者の体験が克明に記録された著作であり、「ボクラはいかにして天皇制ファシストに純粋培養されたのか」という問いに著者が「全身の重みをかけて執着」した成果である、と絶賛されていて気になった。

 

次の二つは対談。気になった渡辺の発言をメモしておく。ここからまとめる体力が尽きてきたので引用集。

吉田満・安田武との対談「戦艦大和の士官と武蔵の兵 戦争体験と戦後倫理をめぐって」(1962)

それからまもなく「武蔵」は爆発を起こして沈みました。七時三十五分でした。僕はじたばたしているうちに渦に巻きこまれ海中に引きずりこまれた。そのときは、「ああ、もうおしまいだ、でもこれでいいんだ……」というなにか妙に静かな気持ちでした。(p. 149)

 

ぼくはね、現在自分がこうやって生きていることに、なんか罪のようなものを感じますね。 たえず、そのことが意識の中にあるわけです。それは、ひとつには戦後が、語るすべのない「死者の執念」を、ちっとも生かして受けついでいないということにも関係があると思います。あの八月十五日には、この国を新しくつくりかえていくいろんな原理的なモーメントが、非常に凝縮した形であったと思う。それをいつのまにか喰いちらかしてしまって、そうしておいて「戦争とは一体なんだったのか」という問いを繰返しているわけです。なんだかたまらなくむなしいですね。むろん僕も戦争体験は思想化しなくちゃならないと思っているのですが、一方ではそういう罪の意識とむなしさが雑居しているわけなんで、なんかこうやりきれないですね。(p. 157)

安田武との対談「天皇の訪欧をめぐって」(1971)

今の話ですけれど、結局僕もね、(ヨーロッパを旅行した)天皇の車に、オランダで卵をぶっつけられたとか、イギリ スでお手植の杉が引っこぬかれたとか、オランダで八・一五委員会ができていて、「天皇が来たら抑留しろ」というような声が、かなり上がっていたという報道を見ていて、やはり僕たち日本人は、戦後二十六年、天皇の戦争責任ということについて、本当に四つに取組んでいなかった。自分の戦争責任を追求しながら、同時に天皇の戦争責任も正面から追求するという構えがなかった。あっても個人的なもので、大きな力としては噴き上がらなかった。それで今度のオランダとかイギリスとかの反応をみていて、向うはやっぱり日本人と違うなと思いましたね。(pp, 162-163、括弧内引用者)

1971年にこんな出来事があったのか。勉強になる。

インタビュー「戦争と私 体験から想像力へ」(1979)

血で汚れていることの自覚

はじめの『海の城——海軍少年兵の手記』(一九六九年)を書き上げるまでにはそれから二十四年の時間がぼくには必要でした。無念を晴らすにしてはたいへん気の長い話ですが、前半の三分の一ぐらいの下書きは病院のベッ ドの上で寝ながら書きました。その過程でぼくがいちばん心にひっかかったのは、自分がなぜすすんで志願までして戦争にいったかということですね。戦争にいくというのは、ごく簡単にいってしまえば、人殺しにいくことですよね。殺す側と殺される側があって、兵隊になればそのどちらかにいやでもおうでもつかなければならないわけで、そういうごくあたりまえのことに、当時、ぼくは気がついていなかった。その点ではまったくあきめくらだったわけです。

ぼくは配置が大砲でしたから、海戦のたびに大砲を射った。たしかに射ったわけだから、当然ぼくの射った弾に当たって死んだアメリカ兵もいただろうと思う。そうすると、じかではないから目にみえないにしてもぼくの手はやっぱり血で汚れているし、汚さざるを得なかったということ、そういう自覚はあらためて、人間としてたえがたかったですね。(pp, 179-180)

・優れた戦争文学として、野間宏『真空地帯』、大岡昇平『俘虜記』、梅崎春生、島尾敏雄、原民喜の作品が挙げられている。

軍歌の戦争責任

それからぼくは、これは片手落ちだと思うんですけれども、当時の歌謡曲とか、軍歌の戦争責任、この問題をだれかもっと本格的にやらないといけないという気がするんですよ。やっているのは児童文学者の山中恒さんぐらいでしょう。あの『ボクラ少国民』の作者ね。当時のものをコロンビアなんかで収録したりしてよくやっていますね。ぼくらのころは、「太平洋行進曲」とか、「父よあなたは強 かった」とか、 軍歌なり、あるいは戦時歌謡というんですか、そういう歌が戦争のイメージづくりに果した役割は大きかったですね。なぜ大きいかというと、日本人というのは、情緒的な面で非常に弱いでしょう。たとえばオリンピックに、日の丸の旗があがって「君が代」が吹奏されると、大さわぎ してそこで思考停止するというような、そういう弱さがある。そういう意味でぼくは、戦時歌謡や軍歌の果たした役割は大きいんじゃないかと思う。戦時歌謡や軍歌にもし人格があれば、まずA級戦犯ものだね。(p. 189)

あのとき、やっぱり死んだほうがよかったな

だからぼくは時として、酒なんか飲みながら、こんなことになるなら、戦後、ぼくはあまりたいしたこともしなかったし、長い間病気して悶々としていましたから“あのとき、やっぱり死んだほうが よかったな”というような気持が、いつも影のようについてまわってるわけです。戦友の位牌片手の 人生という思いがいつもあって底まで突きぬけるようなスカッと澄んだ気持は復員後ついぞ味ったことはないですね。めめしい男なんだな、ぼくは・・・・・・。 

そんなふうですから日常の生活の中でいろいろいやなことやつらいことがあっても、結局、この先には死ってことがあるんだ、そこに救いがあるんだなということで、同僚が死んだことと自分がいまこうして生きてることの負い目みたいなものが、いつもあやもつれてだぶっているんですよ。(p. 198)

靖国神社の問題について

だけどもあの四年間というのは、ぼくにとってたいへんな四年間であって、戦後の三十年というのは、いわば影のようなものです。ぼくは傾いて沈んでいく武蔵の旗ざおにしがみついて“お母さん、お母さん“と叫んでいた同僚たちを、どうすることもできなかったし、ある場合には見殺しにして、 自分だけおめおめと生きてきたんだということで、その点で、ぼくは死者を語る資格はありません。だから靖国神社の問題についてぼくが非常に怒っているのは、あれは死者を政治の手段にして死者をもう一度殺すということでしょう。それで怒っているんですよ。ぼくは、死者は死者として語らしめよということで、生者がみだりに死者を語っちゃいけないと思うんです。たしかに死者は、生者の中にしか生きられないわけで、死者はひっそりと自分の心の中に、自分の日常の中に生かすべきであって、それをことごとしくああいうふうな形で、A級戦犯合祀だの、国のために死んだのだから祀ってどこが悪いなんていうのは言語道断ですよ。(p. 199)

加納実紀代との対談「戦争の中の日常性 男と女の戦争責任を考える」(1979)

この対談は女性史家の加納実紀代の言っていることの方が面白かった。

加納 (前略)最近になって、戦時体制は、女性解放にプラスだったというような意見が女性史研究家あたりからボツボッ出されていて——つまり、戦時体制は女を家から解放した、社会参加を促した、だから女性解放にプラスだったということですね。たしかにかつて、女にとって家制度の桎梏は大変なものだったし、戦時中の軍需工場動員や、国防婦人会への参加、女を家から解放して社会参加させたという効果はあったと思う。だから、婦人運動家たちは、積極的に戦時体制に協力したのだと思うんですが、でも侵略戦争のための戦時体制への社会参加が本当に女性解放といえるのか、ということですね。そしてそれは、いま日本は直接的な軍事侵略はやっていませんけどそっくりそのままあるんじゃないか、と。そうした中での女性解放や女の自立とはどういうことなのかということを、戦時下の女たちを見ることで明らかにできるんじゃないかということなんです。(p. 213)

粟屋憲太郎との対談「海軍少年兵の敗戦体験」(1980)

歴史学者の粟屋憲太郎との対談。粟屋がかなり聞き手に回っていて、渡辺の生い立ちや経歴について話している前半部が参考になりそうだった。

2026/10/1『共同研究 転向6 戦後篇 下』

本日の読書。

『共同研究 転向6 戦後篇 下』

鶴見俊輔「転向論の展望——吉本隆明・花田清輝」

鶴見ら『思想の科学』グループの転向論と吉本隆明の転向論を比較して、自分たちの転向論は「転向」の語を価値中立的に用いているが、吉本は否定的な語として用いており、だからこそ「蔵原惟人や宮本顕治のような獄中でも思想を曲げなかった共産党系知識人は非転向だが転向している」といった曖昧な表現をしてしまう、という風に特徴付けていた。

また、吉本の転向論における共産党批判が、「大正七年の新人会*1創設以来日本の知識人にとってあらゆる議論と行動の無意識的前提となって来た『共産党が唯一つの前衛党であり、日本社会をよい方向にかえてゆこうとするあらゆる運動の目標はこの前衛党の動き方をどのくらいのゆるやかさを以って模倣するかにかかっている』という考え方に挑戦し、かなりのところまでこの無意識的前提をうちやぶることに成功したことである」と指摘されており、

「これ、小熊ゼミ(『民主と愛国』)でやったところだ!!」

となった。

(※本物の小熊ゼミに行ったことはない。)

また、戦後十五年間にわたって存在したという「離党者は転向者であり、裏切り者だ」という日本共産党の理念が表現されている作品として、井上光晴の短編「三号桟橋」(『トロッコと海鳥』に収録)が引用されていた。

『転向』以降の転向観

共同研究『転向』を振り返る座談会。参加者は、鶴見俊輔・橋川文三・藤田省三など。いつに行われた会なのかよくわからないが、おそらく70年代(アバウト)。

けっこう参加者が散漫としゃべっていて全体の趣旨がつかめなかったので、印象に残ったとこだけ記す。

・清水正三『戦争と図書館』によると、満州事変以降に日本の出版傾向はガラッと変わり、右翼関係の本が伸びて、左翼関係の本は落ちていたらしい。

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最近こんな本も出てるみたい。

www.seikyusha.co.jp

・藤田省三が深沢七郎『楢山節考』を挙げて、姥捨の風習をも分析対象とする生活史を含む思想史をやらなければいかん……と言っているんだけど、姥捨の風習ってあくまで伝説であって、実在しないんじゃないの?と思った。

・歴史家の家永三郎が転向論として『田辺元の思想史的研究』という本を書いてるらしい。気になる。

・鶴見がカナダ人から「『思想の科学』の転向研究が天皇の転向を取り上げていないのはおかしい」と批判する手紙をもらった、という話。井上清が『天皇の戦争責任』という本を出しているらしい。

・折原脩三「天皇という観念の横すべり」(『思想の科学』1977年4月増大号)という論考に三島由紀夫が戦後の天皇制に持っていた危機感について書かれている、らしい。明仁親王の教育係を務めた経済学者の小泉信三が理論的な面で戦後の天皇制を作り出し、戦前の天皇という地位が帯びていたインパーソナルな性格を天皇から失わせた、という話がなされているらしい。

成田龍一「『共同研究 転向』の完結とその後の転向論」

2012,13年に書かれたとおぼしき論考。『共同研究 転向』以降に書かれた転向論についてサーヴェイしてくれていてタメになる。

*1:大正・昭和初期の東京帝国大学学生を中心とした社会主義思想運動団体

2026/9/29 井上光晴『荒廃の夏』感想

 

朝鮮戦争の時期の日本を描いた作品で、語り手が次々と入れ替わり、場面が56節と細かく区切れている形式が特徴的だった。

井上光晴に関する論考を4.5本読んだ印象では、長編小説にしてはあまり言及されることが少ない作品である(言及が多いのは、戦時中の軍国少年を描いた「ガダルカナル戦詩集」や日本共産党批判の要素がある「書かれざる一章」「病める部分」など)。

読んでみて、たしかに名作とは言い難い部分が散見されたので、以下に上げていく。

まず最も大きい欠点は、「アメリカ人軍によって強制的に朝鮮戦争に協力させられる日本人の医師」や「韓国の収容所から脱走してきた北朝鮮軍の兵士」、「太平洋戦争中に中国で中国人女性をレイプした元日本軍兵士」など、シリアスで論じられる意義があるモチーフが多く登場するにもかかわらず、それらのモチーフがあまり掘り下げられないことである。元日本軍兵士にいたっては、作中の後半から登場しなくなる。

次に、語り手が次々と切り替わるという形式に関してもあまり効果を上げているとは思えなかった。一度に描かれてよいシーンがわざわざ分割されており、なかなか展開が進まないので間延びした印象を持った。いちおう、ある語り手と語り手が実は同一人物であることが中盤で判明するのだが、小さな驚きにとどまり、物語全体に対して何らかの役割を果たしているとまでは感じなかった。

最後に、結末の弱さ、曖昧さを指摘したい。主人公のひとりであり、日本人の医者である信衛が発狂する原因となった、アメリカ軍から強制されたある作業とは何なのか? 信衛は何をしたのか? というのが物語を牽引する中心的な謎なのだが、後者については「なんでそんなことしちゃったの?」と困惑せざるを得ないもので、発狂に至る心理も詳細に書かれているとは言えないものだった。

今作に関してはあまり面白かったとは言えないが、井上は本作のあとも朝鮮戦争をテーマにした小説を書いている(『他国の死』)ので、そちらに期待したい。

 

2026/9/15 〈戦後文学〉の現在形 Ⅰ期 一九四五〜一九七○年

本日の読書。

〈戦後文学〉の現在形 Ⅰ期 一九四五〜一九七○年

「『戦後文学』のフレームそれ自体を批評するために、正典化の力学とは異なる構図が必要」という問題意識から編まれたブックガイド集の一章を読んだ。

読んでみたいなと思った作品とその理由をリストアップしておく。

  • 坂口安吾『戦争と一人の女』(「人間は、それだけのものよ」というあさましさの肯定)
  • 大岡昇平『俘虜記』(兵士の殺人未遂とその省察を描いた)
  • 深沢七郎『楢山節考』(姥捨という虚構の風習が復員兵が多く存在する戦後日本ではリアリティを持ち得たこと)
  • 幸田文『流れる』(「敗戦による文化的喪失」、「旧来の伝統や価値観、習慣や生活様式に縛られているものたちが離散していく瞬間」を捉えた、成瀬巳喜男によって映画化)
  • 円地文子『朱を奪うもの』(江戸後期文芸的な「劇場的な世界」への偏愛と文学者の歴史的役割への内省を含んだ自伝的小説)
  • 金達寿『朴達の裁判』(「良心的」な「日本人」の「男性」を規範とする転向概念への異議を申し立てる転向小説)

とりわけ、引用されていた円地文子『朱を奪うもの』の以下の文章が魅力的だった。

忠義とか孝行とか貞操とかの美徳を離れることなく肉体に宿している勇ましい男や女があらゆる譎詐と迫害と陵辱に耐えて精神の光を増していく話や、美貌の悪人が思い切って非情に惨忍な悪事を犯す有様や、ともあれ南北や黙阿弥の歌舞伎、馬琴や種彦の読本草双紙の世界では、人間は千変万化する虚構の縦糸横糸となって金銀五彩のけばけばしい織物をくりひろげるが、そこには土の匂いや芽の勢い、太陽の溢れる自然は片はしも見られず、すべてが人工的な照明に彩られた——言わば劇場的な世界なのであった。(『全集』第一二巻、一三頁)

三島由紀夫に「そのどす黒さにおいても、残酷さにおいても、劇的趣向においても、馬琴、京伝、京山、種彦などの、合巻物を偲ばせる」と評されたという小説『男の銘柄』も気になる。

円地の節で言及されていた、日本におけるナショナリズムと古典教育の関係に言及した研究書である『想像された古典——カノン形成・国民国家・日本文学』、『女学生とジェンダー——女性教養誌『むらさき』を鏡として』にも興味をそそられた。

 

2026/9/13 松山愼介『「現在」に挑む文学』の井上光晴論

松山愼介『「現在」に挑む文学』から井上光晴論を読んだ。

「井上光晴という生き方」という論のタイトルからもわかるように、井上作品の批評というより、井上光晴の実人生にフィーチャーした論考だった。

ただ、戦後4、5年の日本共産党を内部から批判した『書かれざる一章』、日本共産党の1950年の内部抗争を描いた『病める部分』、長崎を舞台に被爆による差別と部落差別を描いた『地の群れ』、原爆投下前日の長崎を描いた『明日 一九四五年八月八日・長崎』については、それなりの紙幅が割かれており、今後参照したい。

詩人の森崎和江と谷川雁が関与した大正炭鉱闘争を闘った大正行動隊の内部で起こった強姦殺人事件について言及されており、森崎によれば、殺された女性の兄が森崎と谷川に無言の抗議をするために彼らの家の前を通る列車に飛び込んで自死した、というエピソードが印象に残った。

森崎はこのエピソードについて、中島岳志との対談集『日本断層論』や上野千鶴子との対談が収められた『恋愛テクノロジー』でも語っているらしい。

2026/9/08 『作家の自伝77 井上光晴』など

合宿での研究発表が迫っているのにぜんぜん資料が作れておらず、だいぶみじめな気持ちである。みじめなので神漫画である阿部共実『ちーちゃんはちょっと足りない』の神ラストシーンを再読して心の安寧をなんとか保った。

本日の読書。

『作家の自伝77 井上光晴』のエッセイからいくつか

井上光晴のエッセイを集めた『作家の自伝77 井上光晴』からいくつか文章を読む。

1945年6月に当時19歳の井上が睡眠剤を大量服用して自殺未遂を図ったエピソードについて書いた冒頭の「ある勤皇少年のこと」が興味深い。

井上が特攻隊員に渡そうとした影山正治『一つの戦史』と、必死に読んだという横井保平『戦史の哲学』が気になる。

井上光晴の短編小説「小屋」

復員してから数年間小屋にこもっている男とその妻の話。

以下の記事でとりあげた高橋たか子「日常の中の危機意識」では、この小説を戦争犯罪を扱った小説としていたが、ラストシーンにそういう要素はあるものの、実際に男がどういう犯罪を犯したのかはあいまいな感じだった。むずかしい。

randoku-world.hatenablog.com

田中久文『〈聖戦〉という思想』序章

国体論に言及されている箇所で、昆野伸幸『近代日本の国体論』が引用されており、それによると、昭和十年代になると、「国体の永遠性を信じ、現在への没入と国民の天皇への随順を強調する伝統的国体論」は限界を迎えたため、「国民の積極的な自発性に支えられた翼賛を目指す方向で国体論の再編が行われた」というのが気になった。そういう区別があるのか。

仲正昌樹『日本とドイツ 二つの戦後思想』一章「二つの『戦争責任』」

ホロコーストの一部には、当時のドイツの国内法に照らせば合法と認めざるをえない行為があり、そうした行為を裁くために創出されたのが、国家主権を超えて普遍的に適用される「人道に対する罪」という概念である。

アジア・太平洋戦争で日本軍が行った従軍慰安婦や強制連行の問題もこの「人道に対する罪」に該当する可能性がある。しかし、これらの問題に対して日本政府は、しばしば明治憲法下では「国家の行為によって被害が発生しても国家は賠償責任を負わない」とする「国家無答責の原則」があったと主張し、裁判所もそれを認可しているが、「人道に対する罪」は国家主権による制約や事後法の禁止の原則を超越した国際法上の強行規範であるため、安易に「国家無答責の原則」を主張することはできない。したがって、それにもかかわらず司法の場でこの主張が通用しているということは、日本の法律の世界では「人道に対する罪」という考えが受け入れられていない証拠だ、という指摘がなるほどなと思った。

また、「普通のドイツ人の加害者性」をめぐるゴールドハーゲン論争についても言及してくれていて勉強になった。

2026/9/01 『国文学 解釈と教材の研究』第19巻 第5号(1974年) 井上光晴・高橋和巳特集

『国文学 解釈と教材の研究』第19巻 第5号(1974年) 井上光晴・高橋和巳特集から井上光晴に関する論文をいくつか読む。

渡辺広士「井上・高橋における人間性の地獄」

井上作品と高橋作品の共通点として「人間の腐敗、堕落、汚辱というテーマについての偏執的な執着」とそうした人間の暗黒面についての告発を見出す論考。

井上作品における告発を三段階に区分しており、「病める部分」(1951)などの日本共産党を批判する他者告発の時期、「飢える故郷」(1961)などの知識人に成り上がった自分への自己告発の時期、「廃坑地帯、この戦後資本主義の繁栄の中で荒廃した故郷と民衆を発見し、そこに現代の地獄を見つめ続けて」、「その中の人間の姿が今日の日本の全体への告発であるように」語る第三の時期という区別をおこなっている。

また、井上は大衆と親密な知識人であり、高橋は大衆から遊離した純粋な知識人だという構図がよくある紋切り型でつまらなかった。

松原新一「井上・高橋における〝告発〟の構造」

高橋和巳批判には公式と言っていい発想の型が存在しており、一つはその文体を「小説の文体ではない」と批判する方法、もう一つは「インテリの文学」「高橋がテーマとして掲げた『自己否定』とは『自己欺瞞』にすぎない」などと批判する方法で、どちらもまともな論証になっていないことを指摘する前半は面白かったが、後半はたとえば「井上光晴が北九州の廃坑地帯を小説の舞台として炭鉱離職者の惨たる現実を描き出していくとき、私たちがそれを、辺境の特殊な現実として受けとっていくのはまちがいなのだ」といった論証のない印象論に終始していてあんまりだった。

当時の流行の現象として「『歴史』から『存在』への関心領域の転換なるものを文学の課題だとして主張する考え方」を批判しているのが、具体的に誰の主張を指しているのかはわからないが、そんな風潮があったのか、と興味深かった。

森川達也「荒廃のイメージ」

タイトル通り、井上作品の「荒廃のイメージ」に着目する論考。

『死者の時』では、作者は自己を被害者の位置においていたが、『地の群れ』では作者は自己を明確に加害者の位置においている、という指摘がそうなのかーとなった。

この議論の詳細は著者が『新日本文学』1963年9月号に書いた論考で論じているらしい。

高橋たか子「日常の中の危機意識」

井上作品を政治的視点からではなく、宗教的視点から理解しようとする論考。

著者は、井上作品を好んで読む理由として、原爆投下直後の長崎の風景や九州の廃坑地帯の風景といった、著者いわく「キリストが現れてもいいような風景」が繰り返し出てくることを挙げている。

また、井上作品の主要な登場人物に見られる共通の特徴として「すかすかになってしまった現在の日常と、決定的なことを孕んでいる重たい過去」を挙げていることも興味深い。

井上作品に登場する狂人として『荒廃の夏』の館信衛と『小屋』の中沢邦衛がおり、どちらの場合も戦争犯罪が原因で発狂する、というのも気になった。

論考の終盤で「私は、戦争とか差別とか貧困という、いわば外的なものに関心がない」や「原爆投下直後の光景にしても、廃坑地帯の風景にしても、私にとっては、戦争反対だとか労働者の安泰だとかという問題とすこしも結びつかずに、人間という内的な地獄を抱えもつ存在が存在するかぎり、そしてそんな人間と人間とが地上で関係をもつかぎり、かならず開かれるであろう光景の、シンボルだというふうに見えてしまう」と書いているのが著者のスタンスを潔く明示していて、好感を持った。

ネット麻雀が楽しくなってしまったので、今日はここで終わり。