ものぐさ読書宣教会

好きな本とゲームを布教するためのブログ。

中沢新一『ポケモンの神話学』検閲読書会

人類学者の中沢新一があの超有名ゲーム・ポケットモンスターについて論じた本があるらしい。初代ポケモンが発売された1996年当時、中沢は既にニューアカのスターにして中央大学教授。そんなインテリ野郎にポケモンを上から論じられてたまるか!ということで、ポケモン全盛期世代である我々は急遽検閲読書会を開催することにした。

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ポケモンの神話学』の旧版『ポケットの中の野生』。

おれ……20歳。ポケモン歴12年。初めてプレイしたゲームが『ポケットモンスター ダイヤモンド』。最新作のソード&シールドもプレイ済。もうすぐ発売のダイパリメイクがクソグラなことに憤怒の炎を燃やす、自他共に認めるダイパ厨。

S……20歳。ポケモン歴実質2年。小学生時代、『ダイパ』、『プラチナ』、『BW』等を人並みにやっていた。ある時期からはほとんどポケモンをしなくなり、Switch持ったことはおろか、やったこともなく、ゲーム全般に余り詳しくない。

目次

導入

おれ では、検閲読書会やっていきましょうか。

S    よろしく。

おれ 最近やってますか?ポケモン。おれは最新作をやってから大分ご無沙汰ですけど。

S 私はポケモンに限らず、普段あまりゲームをしない人間なんだよね。だけど、一昨日部屋の整理をしようとした時に、たまたまDSの機器とポケモン『ホワイト』を見つけて、久しぶりにやってみるかとプレイしてみたら、もう面白すぎて………。2日間で36時間位プレイしちゃった。

おれ 36時間(笑)暇ですね……。

S 暇だからやってたんじゃねーよ!ポケモンを暇つぶしの道具に矮小化するな!

おれ すいません(恐縮)何がそんな琴線に触れたんですか?

S 敵キャラのNのエピソードに滅茶苦茶心打たれちゃったわ………。泣いちゃった。

おれ 冷静に考えて、おれの方が遥かにポケモンやってるんですけどね。この2日でどうしちゃったんですか(笑)まあNの話はおいおいやるとして、早速読書会始めていきますか。


1章から3章について

おれ 1章『インベーダー革命』、2章『モンスターの誕生』、3章『RPGのエロスとタナトス』……。ここまでほとんどポケモンの話してないですけど(笑)

S ポケモンについてアツく語る会じゃないの?聞いていた話と違う(笑)

おれ その意見はもっともなんで、ざっとまとめます。


①日本のテレビゲームの始祖『インベーダーゲーム』はフロイトの『死の欲動』が関連する遊戯であり、インベーダーはラカンが云う対象aの特徴と一致している。対象aは知覚や意識の秩序からはみ出る過剰を抱えていて、人は対象aを通じて生命そのものに触れることができる。

②インベーダーは正体不明のモノがウジャウジャいる多数性としての『過剰』だった訳だけど、多様性の『過剰』として怪獣やモンスターがいて、日本文化はこの点では非常に習熟している。例として挙げられているのが、『百鬼夜行図』や『ウルトラマン』。

③しかし、この世界に唐突に出現する怪獣たちからは物語が生まれない=B級映画的だ、と中沢は批判していて、その表層だけの世界に「襞」=世界観を作ることでファンタジーの入り込む余地が生まれ、その典型がRPG

対象aというのは、言葉によって秩序化される以前の母子の結びつきのことでもあるから、永久に手に入らないのだけれど、人はその現実を巧妙なファンタジーの力によって見ないようにする。言葉の秩序を破壊して母親と未分化な状態に立ち戻ろうとするタナトスを体現するのがRPGにおける敵で、対して主人公が体現するエロスはその破壊衝動から生き延びるために迂回路を取る、RPGというのはそういう物語なんだという話です。


S なげーよ!「ざっとまとめる」ってなんだったんだよ(笑)。俺が代わりに「ざっとまとめる」と、ゲームの中にも、科学だったり言葉の体系だったりでは表しきれないような魔術的なものへの欲求があるっていうことを、精神分析学的な用語で説明しているっていうことなのかな?

おれ そうですね。大雑把にはSさんのまとめで合ってると思います。

S うん。

おれ じゃあ、これから4章に入りましょう。やっとポケモンの話になります。

S ヤッター!!!!!たとえ火の中水の中森の中草の中♬

おれ テンション上がったからって、歌わないでください(笑)

4章『ポケモンの手柄』について

おれ 4章からは、各自もう一度黙読していきましょう。

黙読タイム

おれ 読み終わりましたか?

S うん。

おれ じゃあ、話していきましょう。まずはざっとまとめていきますか。

S 君はさっき「ざっとまとめる詐欺」をやったので、今回は僕が「ざっとまとめ」るよ(笑)

4章では、3章までのゲーム史的な考察を受けての、ポケモンの考察になります。要するに、ポケモンというゲームは、それまでのゲームが持て余していた「対象a」的なものを、知的にうまく昇華しているということを中沢は主張している。「ポケモン」という存在自体は、どこから発生したのかもよく分からない不思議なものなんだけど、それが、「モンスターボール」で捕まえられたり、或いは、「ポケモン図鑑」によって簡潔に説明されたりする。全く不可知なものでもないし、完全に観察できるものでもない、そこの距離感が絶妙なのがポケモンの特徴だと、中沢は主張している。こんな感じでどうかな?

おれ いいと思いますよ。Sさんはどういう感想を持ちました?

S そうだなぁ……。言いたいことは分からなくもないんだけど、実際ポケモンに「対象a」的な、魔術的な雰囲気っていうのをそんなに感じるか?と、素朴に思ってしまう。

おれ なるほど。少なくとも成人した現在、ポケモンに魔力や野生を感じたりはしない。単なるデータ上の存在でしかないかな。

S そうだよね。

おれ もっと言うと、子供の頃でもそんなこと感じてたか?ってのもある。

S 確かに(笑)

おれ ここの『「モンスターボール」に閉じ込められた怪獣のことを考えてみよう。怪獣はプラスチック状の薄い膜でおおわれいるから、手でそれを持ったときにも、ねちょねちょ、べたべたした、怪獣特有の粘液状の肌には直接接触しなくなる。このねちょねちょ、べたべたという粘液の感覚は、唾液や母乳のような、幼児と母体との接触につきものの感覚だ。唾液や母乳が、母のからだと幼児のからだの間にあって、二人をつないでいる。つまり、この粘液の感覚こそが、「対象a」に特有の接着感をしめしている。』って箇所とか。

S そんなこと考えてポケモンやってなかったよ(笑)

おれ 中沢は無意識に影響してるんだって言うんだろうけど、違うと思う。

S ポケモンをプレイする子供のことを、どうも自分の主張に都合よく解釈してるようにしか思えないんだよな。

おれ 自分の理論に当てはめようとしてる。

S この本のプロローグの書き出しも酷くてさ、多摩川のほとりを歩いていると、川べの水たまりで「片手にゲーム機を握り、もう片方の手でおたまじゃくしやザリガニを捕まえようとしている小学生」を見かけて、子どもたちが自然と技術との調和を実践しているということを感じた、ということを中沢は書くわけだけど、こんな小学生見たことねーよ(笑)

おれ もし仮にいたとしても、そんな奇妙な光景を時代の象徴的に扱うのはおかしい(笑)

S 俺がもしその光景を見たとしたら、「水溜りにゲーム機落としたら壊れちゃうでしょうが!!」って、走って説教しに行くわ(笑)

おれ そんなことはないですけど(笑)ゲーム文化っていう新しい文化潮流を自然との触れ合いみたいな特殊な文脈のみに回収しようとしている節がある。たしかにポケモンGOとかはそういう面もあるけど、もっと別の文脈もあるでしょ。

S そうだよね。ポケモンを自分の理論に都合よく使っている。この二日間でポケモン36時間やりこんだ俺からすると(笑)、中沢の書き方は外在的でムカつくよ。

おれ うん。教科書の代替品にもなる様な、「対象a」との適切な距離感を学ぶツールとして、ポケモンが把握されている。子どもの遊びを見守るおじさんの視点から描かれていますよね。

S 全くその通り。象徴化があーだこーだとか、対象aがどーのこーのとか言ってるけど、ポケモンに「理屈では捉えきれないもの」を見る中沢の記述が、非常に理屈的で、安定しちゃってるんだよね。中沢はポケモンをプレイしてないよ。やったとしても、熱狂してやってない。一種の研究の対象としてやってるに過ぎない。

おれ 2日間熱狂しただけなのに、偉く饒舌に語りますね(笑)じゃあ4章はこの辺で終わりで、5章行きますか。

5章『今日のトーテミズム』について

おれ じゃあ、黙読しましょう。

黙読タイム

S 読み終わった?

おれ はい。例のように、簡単な要約から行きましょう。5章で言っていることも、基本的には4章で言っていることとあまり変わりません。

モンスターという表象は「対象a」=過剰に属するが、「子どもの科学」の精神=分類原理によって昇華される。「子どもの科学」の「分類原理」やポケモン同士の「冗談関係」、ポケモン多神教的世界観には「野生の思考」が宿っているという話でした。

S まとめとしてはそんなもんじゃないかな。君は5章はどう思った?

おれ うーん………。強い違和感を徐々に持ち始めています(笑)。まず、ポケモンが150種(当時)いることについて、中沢はこんな風に語るわけです。

「このゲームの作者たちは、流動的な生命の流れの中に非連続な切れ目を入れようとしている。背後に連続して流れる何かの潜在的な力を直観している子どもたちは、そこに切れ目が入れられることで、カオスを秩序に作り変える知的な喜びを味わうことになる。」

どうなんでしょうか(笑)。カオスを秩序に作り変える知的な喜びっていうのは、中沢が批判対象にしてる「西洋近代科学」的なものと何が違うのでしょうか?

S うーん………。ポケモンにおける分類の喜びは、「少年の科学」と表現されていて、「少年の科学」vs「西洋近代科学」という対立構図が中沢の頭の中にはあるよね。「少年の科学」は、「背後に連続して流れる何か」を想定しているから、「野生の思考」に親和的ということなのかなぁ。

おれ ポケモンにそんなもの感じますかねぇ。

S それと、「戦闘シーンで冗談関係が発生する」という部分も意味不明。「冗談関係」っていうのは、なれあいやじゃれあいが出来るようになる関係のことを指す、人類学の用語のようだけど、戦闘シーンはじゃれあいじゃなくて、無慈悲なまでに「戦闘」でしょ。

おれ そうですよね。「はかいこうせん」なんて技もありますからね。じゃれあいの関係の相手に、「はかいこうせん」なんて食らわせますか(笑)?それで相手が「ひんし」状態になったりするんですよ。

S うん。「ひんし」になったら、滅茶苦茶安く買える「ふっかつそう」を大量にポケモンに投与して、無理矢理戦わせるからね。ポケモンをなつかせるみたいな感覚は、殆ど皆無と言っていいと思う。私が小学生の頃はそうだった。

おれ とにかく、ポケモンをロマン化し過ぎなんですよね。こんなんだったら、まさにSがここ2日ドハマリしていた、ポケモン『ブラック・ホワイト』の、ラスボス「N」の方がよっぽど良いこと言ってます。Nは、ポケモンとトレーナーの関係は、健全で円満な関係、中沢的に言えば、「冗談関係」に見えるけれども、実際は、トレーナーが一方的にポケモンを従わせる様な、暴力的な関係なんじゃないかって主張するわけですから。

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S そうなんだよ。中沢の小難しい欺瞞よりも、Nのストレートな感性の方が上を行ってるよ。俺はあの『ブラック・ホワイト』のNのストーリーには相当食らったんだけど、実際の評価はどうなの?

おれ 評価は相当高いですよ。ただ、余りにもポケモンの根幹をついているので、「シナリオライターが暴走した」とも言われますが(笑)

S へぇ(笑)。私としては、Nが言ってることは正しいと思うよ。ポケモンを捕まえて、技マシンで無理矢理強い技覚えさせて、敵キャラをバッタバッタと倒していくことに、良きにしろ悪しきにしろ、ポケモンの面白さがある。そこは認めないとだめなんだよ。おじさんが子どもに変なロマンを素朴に求めちゃっている感じが、読んでいてキツイ。

おれ まぁ、批判はこの辺で一旦区切って、最後、第6章行きましょう。

6章『ゲームの世界の贈与論』について  

おれ じゃあ、第6章黙読しましょう。

黙読タイム。

おれ 読み終わりましたね。では大雑把なまとめをしていこうと思います。

第6章はポケモン交換の話になるわけです。中沢曰く、ポケモンの交換は「贈与」であって、非常に文化人類学的な営みらしいです(笑)。ポケモンの交換は、単なる商品の売買や物々交換とは違って、交換する品物に、贈り主の人格が付与している。なぜなら、各ポケモンには、それを捕まえた人間の名前が「親」として記録されるようになっていて、これは交換をした後にも残る記録だからです。つまり、ポケモンがどこへわたっていこうとも、それを捕まえた親の記録は消されない。そんな、人格を含んだ「贈与」であるからこそ、ポケモン交換には、哲学や心理学では十分な解明ができない、ドキドキする「ドラマ」がある。ポケモンの交換は、古代から続く人間の深い部分、「個体性をこえて流動している宇宙的な力」に触れている、と中沢は主張しています。

S そうだね。まとめはそんなもんじゃないかな。で、どう思った?

おれ そうですね。取りあえず、中沢の主張は間違ってると思いました。

S 一刀両断(笑)。まあ私もそう思うけど。この章は無茶苦茶すぎて、もうここまでくると、逆に「奇書」として面白いレベルだよね。

おれ ポケモンの交換が商品交換じゃないんだって言うわけだけど、子どもっていうのはわりかし実利的な存在であって、ポケモン交換っていうのも、もっとドライに捉えているでしょう。まさに、「商品交換」的に、高く売れるポケモンを育てて、それと引き換えに、良いポケモンを買うわけです。

S 同感です。

おれ かつての「野生の思考」が生きていた頃の社会で、「自分が手塩にかけて育ててきた娘」をほかの男性に「贈与」していくように、現代の子供は、ポケモンを贈与していくのだと言ってる訳だけど、娘とポケモンを類比出来るわけないでしょ(笑)イカれてる。

S 本当にその通り。他に、こんなことも言っている。

「ものの交換といっしょに、なにかの意味伝達がおこなわれる。個体性を超えて流動している、その宇宙的な力に触れているとき、ものやことばの交換において深い意味が発生できる。ところがこの接触がない場合には、ものともの、人と人はいとも簡単に数字や情報に還元されてしまう。簡単な浅いレベルの伝達にとどまってしまうのである」

それで、ポケモンは、この、深い意味を発生させた交換が出来ているという風に中沢は主張するわけなんだけど……。どうですかこれ?

おれ 親の名前がポケモンに記録されるというのは、まさに、人と人(ポケモン)の関係が情報に還元されているということの典型的な良い例ですよ。

S 本当にそう。

おれ それで、ポケモンが、自分の生命がたくさん詰まっている「対象a」なんだっていうことを中沢は言っているんだけど……。どうなんでしょうか。

S 俺もラカン理論に全然詳しくないから分からないけど、絶対違う気がする(笑)

おれ うん、そうですよね。ラカンに詳しい方は是非教えてください(笑)

S しかし、とんでもない本だなこの本。ポケモンっていうポップカルチャーを、偉い学者がクソ真面目に語るとこうなってしまうのか。凄い小難しいこととか壮大なこととか言ってるけど、バカバカしい様にしか思えない(笑)

おれ そういう意味では、面白い「奇書」ですよね。もう笑いなしでは読めません。

エピローグを読んでの結論

おれ 最後まで読みましたね。どうでしたか。

S やっぱり思うのは、中沢がポケモンに誇大妄想的なロマンチズムを抱いていること。無機質だと思われていたゲームの世界に、ポケモンは豊かな自然を導入した。ここまでは素直に賛同できる。だけど、さらに中沢はポケモンに「森の神」と呼ぶような多神教的要素や、文化人類学の「贈与の霊」を読み込んでしまう。ここがさっぱりわからない。

おれ 中沢と我々の見解の齟齬は、子供時代にリアルタイムでポケモンに熱狂したか否かにあると思います。我々は実際に当時熱狂した分、逆にシビアに俯瞰できている気がします。我々は「もう一つの世界がある」と思わせてくれるような精緻な世界観や、白熱のポケモンバトルは大いに楽しんだけれども、ポケモン対象a的な過剰を読み取ったり、交換したポケモンに他者の人格や「たましい」を感じたりはしなかった。

S おそらく、この本はかつて叫ばれていた「ゲームをするとバカになる」的な世論に対するアンサーとして書かれたんだと思う。だからラカンレヴィ=ストロースの難しい用語を援用することで、世間の大人たちを説得しようとしている。

おれ その姿勢自体はすごく評価したいんですけど、そのせいで子供の実感からは乖離した壮大な可能性を標榜してしまっている。これが文学のテキストならいいですけど、ポケモンは子供向けのゲームな訳です。こちらとしては、もっと素朴に楽しませてくれよと(笑)

S 中沢新一っていう人は、そもそもそういう人なんだよね多分。中沢の本で、『始まりのレーニン』って本をだいぶ前に読んだことがあるんだけど、それも、「科学的社会主義」で有名なレーニンを、文化人類学的な言葉を動員してオカルト的に読むっていう本だった。「宇宙の力」とか「魔術」とか、そういうオカルトチックなものを、あらゆるものに素朴に感じ取ってしまう癖がある。その癖が、まさに「科学」であるゲームのポケモンに向いて、大変なことになってしまったのがこの本、ということかな。

おれ そうだと思います。ひとつ、少年期をポケモンと一緒に育ったダイパ厨として言っておきたいのは、ポケモンを通じたゲーマー同士のコミュニケーションは中沢が論じたような深さはなく、むしろ浅いものなんじゃないかということです。現在流行しているソシャゲなんかも同様で、それ自体はデータが削除されたら消えてしまうものでしかない。しかし、そのゆるいつながりを端緒として、さらなる相互理解の関係に移行する可能性が開かれている。そこが良さだと思います。

S なんか東浩紀みたいなこと言ってるな(笑)。俺は今回は、2日間で36時間ポケモンに漬かってきた状態でここにいるから、何が「対象a」だ、何が「森の神」だ、と思っちゃうよね。「対象a」も「森の神」もいないけど、俺たちにはゼクロムとレシラムがいるんだよ!それを、「森の神」の代替物に矮小化するな!

おれ えぇ……。

S 真面目に語ると、ニューアカのスターが訳わからない方向に転がっていくのは面白かったですね。私個人はオカルト的になることそれ自体は別に良いと思うんですが、この本は、何でもかんでも無理やりオカルト化しようとする、オカルトの反面教師になりました。

おれ ありがとうございました。

 

おまけ

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Sが36時間かけて育てたベストメンバー。ルカリオはイケメン枠。困った時のムシャーナ

自分も何か出さなくては、と思い、「片手にゲーム機を握り、もう片方の手でおたまじゃくしやザリガニを捕まえようとしている小学生」四コマ漫画を書きました。

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