大学で心理学の講義を受講していて、その学習(この世で最も嫌いな言葉の一つだ)の副産物として読んだのですが、これが読み物としてかなり面白い。
ユング派分析家の資格を取得した初めての日本人である河合隼雄が、詩人・谷川俊太郎との対談という形式でユング心理学を語った一冊。
河合隼雄がユング研究所と大喧嘩したり、谷川俊太郎がLSD体験について赤裸々に語ったり(道徳の教科書にも出てくるあの国民的詩人が!)、2人についてのエピソードトークも大変面白かったのですが、主にユングが提唱した概念や分析治療について紹介していきます。
アーキタイプ(元型)
まずユングが提唱した最も有名な概念としてのアーキタイプ(元型)。
アーキタイプは、万人に共通にある非常に可能性を持った鋳型みたいなものでして、それが日本とかドイツとかいう枠を通じて出てくるわけです。だから表面上は民族によって違った形態としてあらわれるけれども、もとのところにどこか共通点が認められるというのがユングの考え方なんです。(本文から引用)
例えばグレートマザー(太母)というアーキタイプがある。
グレートマザーは主に西洋人の意識の中ではマリアのイメージをとり、日本人にとっては天照大神や観音様のイメージをとったりする。
このような日本とヨーロッパという離れた場所に共通したイメージがいくつもあり、それが伝播したものなのか個別に発生したものなのかを証明するのは難しい。
合理主義精神で考えてみれば大陸間を通じて伝播したものだと考えるのが妥当だが、実はそうではないかもしれない。
実際に河合は自らの分析治療にアーキタイプを援用している。
箱庭療法という治療方法がある。
内側が青色に塗られている57cm×72cm×7cmの箱があって、細かい砂が入れられており、砂を除けると青い部分が露出して川や池になる。
ここの中に患者が用意された玩具を配置していき、その結果として箱庭に表現された作品を使って患者の内面を探るという手法だ。
最近人気が再燃してるゲーム「どうぶつの森」なんかも、箱庭療法になり得るかもしれない。
河合は、診断を担当したある女性の作品の中に非常にグレートマザー的なものが現れていると言う。その作品はかなり不気味である。
箱庭の右側にマリア様と観音様、左側に不動明王が配置されている。
河合の見立てによると、これらは「ポジティブな母性像と強い男性の守り」であるらしい。
そして、真ん中には大量のヘビが据えられている。
最も巨大なヘビが赤ん坊を咥えており、その様は不吉な予感を抱かせる。
これがグレートマザーの表出であると言う。
母性は通常優しさが強調される反面、恐ろしい側面もあり、例えば(本書で先述されていた)学校恐怖症の子供の母親は無意識に子供を支配している。
つまり、作品を作った女性は自分の中の母性の恐ろしさ、子供に対する支配欲を意識化して表現したらしい。
また、ヘビは複数の神話に登場する世界共通の再生のシンボルでもある。
ユングは、人間は「ヘビは再生のシンボルである」というような知識が与えられていなかったとしても、生まれつき意識下でその意味をつかんでいるのだと説く。
人間というのは、みんな生まれながらに言語を習得する能力を持っているように、生まれつき表象可能性を持っている。
「内向型」と「外向型」
人間を類型として捉えるための分類は昔からあるが、「内向」と「外向」ということをユングは言った。
興味や関心が外に向かう人と内に向かう人がいて、どちらか片方が優勢である場合に内向性とか外向性と呼ぶことができる。
常識的には外向的な方が望ましいと考えるだろうが、ユングはどちらが優れていると断ずることはできないと言っている。
外向的な人は無意識に内向的なものに補われているのだ、という「相補性」の考え方である。
ユングの活動していた頃は二重人格の症例が多く見られたが、一般的な二重人格=異常というイメージに対して、ユングは「第二人格は第一人格を補償する働きを持っていて、うまく統合されればより豊かな人間になれる」と反論している。
同じように心理機能も分けていて、思考タイプの人間と感情タイプの人間がいる。
面白いのがこの分類にも「相補性」が働くから、思考タイプの人間は感情タイプの人間に恋したりするらしい。
ユングは自身を思考タイプだと思っていて、人との感情的なつながりをすごく気にしていた。
誰かに会った後で、「もう少しこんな言葉をかけるべきだった」とか「最後のあいさつの時に冷たかった」なんてことをくよくよ考えていたらしい。
私も同じようなことをごく頻繁にやるので思考タイプなのかもしれない。
自分のことを「思考タイプだ」などというのは少しアホっぽいけれど。
死の結婚(トーデス・ホーホツァイト)
これはユングの提唱した概念ではないのだけれども、見慣れない言葉だったので書いておく。
死というのはこの世から離れてあちら側に行く、つまり、この世界の根底との最後の結合であり得る。
だから死には非常に残忍で悲しい面と、非常にめでたい面が共存しているというのだ。
自分は「死がめでたい」などと考えたことはなかったから、この言葉はとても新鮮で面白かった。
なんとなくエヴァ旧劇の「Komm, süsser Tod」(邦訳:甘き死よ、来たれ)という曲を思い出した。
音楽のことは全然分からないが、物悲しさと祝祭の感じが同居していて好きだ。
少し脱線してしまったが、こんな風に常識から脱却して物事を考えられるのはすごいと思う。素直に脱帽だ。
本書で紹介された概念を逐次紹介していくと膨大な文字数になってしまうので、ここらへんで留めておこう。
「箱庭療法」のくだりがとても惹かれたので自分でもやってみたいと調べたら、Amazonでキットが売られていた。
3万円なり。
……買いたいゲームがいっぱいあるから(パワプロとかメガテンとか)、稼ぐようになってから買ってみようかな。
あとトリックスターというアーキタイプがあって、いたずら者が故に思いがけない働きをすることがあるらしい。
昔の田舎の村には必ず頭のおかしい人がいて、子供にとって楽しいトリックスター的存在だったそうだ。
そういう者に私はなりたい。